Serendipity

睡眠と太陽とおいしいごはんがあればそれでしあわせ。ときどき本や映画の話。

【本】自由でほがらかな原点回帰の出版社ができるまでの記録|『計画と無計画のあいだ』

 

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

 

読んだものからリンクする本を読む癖がある。先日に引き続き、ミシマ社について書かれた本を。

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冒頭部分、「いきなりだけど、かつてぼくはバラバラだった。」からはじまる独白に三島さんの人間味を感じずにはいられない。人にはかっこ悪い部分や、隠したい部分が少なからず存在していると思う。自分で思い出すのもちょっとチクっとするような、そういうこと。それを、いきなりだけどという切り口で冒頭で語っている。そこで一気に三島さんという人へのハードルが(いい意味で)下がる。

ミシマ社は、出版の空気を一線を画し、かつ出版社がない自由が丘という場所を拠点に代表である三島邦弘さんが単独ではじめた出版社だ。その後、京都にも拠点を設け現在ニ拠点での出版活動を行っている。(このあたりのことは、最新刊『失われた感覚を求めて』に詳しく書いてある)

ミシマ社の取組みが珍しいのは、活動拠点の話だけではない。通常、本の流通は出版社と書店の間に「取次」と呼ばれる流通業者を介して行われている。取次を通すことにより返本が可能となり書店が在庫管理をする必要がないこと、年間何万冊もの新刊が出る出版業界において物流や金融(支払いなど)にかかる労力がひとまとめになっていることから多くの場合はこの方法を採用している。しかし、2008年には返本率は4割を超え、精魂こめて作った本の約半数が返品され裁断・焼却されてしまう運命にあるのだという。

このことを危惧したミシマ社は書店に直接本を卸す「直取引営業」を行うことにした。書店にとって労力がかかるこの方法では敬遠されることも少なくなかったが書店をひとつずつまわり、各本部で熱意を伝えることで徐々に直取引できる書店が増えていったそうだ。その喜びは本文のなかで次のように記されている。

 それから現在に至るまで三十冊ほどを発刊しているが、実際に本屋さんに行き、自社の本を見つけるたびに感じずにはいられない。
「ここにミシマ社の本があるのは、この書店に、間違いなく、人がいるからだ。面倒な作業もいとわず、一冊を理解したうえで置こうと決意した書店員という一人の人間がそこにいる。その一人の存在が、ミシマ社と読者の方をつないでくれているのだ」と。(p.111)
それから、もうひとつのエントリーの冒頭で書いたのだけどミシマ社のPOPにはついつい引き込まれるものが多い。これについても本のなかで、どういう流れでいまの「仕掛け」が出来上がったかに触れられていて興味深いのでおすすめ。POPはもちろん、ポップアップショップでの展開なども肩張りすぎない、でも熱量はしっかりと伝わる、温かみのあるものになっていてとても勉強になる。→ミシマ社のブログより拝借:こんな感じ
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ミシマ社のお名前や、書籍についてはこれまで触れることがあったけれど三島さんのお人柄の一端に触れて、ご本人の熱量を直に感じてみたくなった。最新作『失われた感覚を求めて』と併せて読むことで、よりぐっとくると思います。