Serendipity

睡眠と太陽とおいしいごはんがあればそれでしあわせ。ときどき本や映画の話。

【本】「ぬるいものはダサい」ときっぱり|『ナタリーってこうなってたのか』

毎日2000本のニュースを配信し、月間30000PVというポップカルチャーのニュースサイト・ナタリーの創始者・大山卓也さんが2007年のナタリーはじまりから今までを振り返って書いた一冊『ナタリーってこうなってたのか』

ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)

ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)

 

発売直後にTwitterで読了報告を多く見かけたのだけどそのときに一番思ったのは「みんなそんなにナタリーを見ているの?」ということ。私のなかではナタリーとは名前こそ知っていれど日々見ているものではなかったし、どういうメディアという輪郭もわからなかったし、モテキで主人公が勤めていた場所というぐらいの認識でしかなかった。それなのに本を読んでみていることについて、大山さんの語る”飽和点”という言葉が印象的だ。

「この名前、最近よく見かけるな」という、そんなささいな引っかかりが積み重なって、それがあるとき飽和点を迎える。そのとき、人は気になる名前をクリックして能動的に動き出すのだ。そして記事を入口にしてオフィシャルサイトにアクセスしたり、YouTubeの動画を観たりする。さらに気に入ればライブに行ったりCDを買ったりする。「人を動かす飽和点」を超えるまでには時間がかかることが多いが、ナタリーがそこに至るまでの入口になれれば、これほど嬉しいことはない。(p.88)

たしかに所見でピンとくることはなかなかない。でも、あの人も言っているこの人も言っているとその名をよく見かけるようになると少しずつ興味が湧いてくる。基本的にTwitterFacebookもフロー型のメディアなので流れてくるたくさんの情報のなかから次のステップへ向かうには読み手のアクションが必要だったりする。ナタリーのいいところは、飽和点に至るまでの入口になれればいいと語りながらも、飽和点への誘導を無理矢理にはしないところだ。ウェブは読み手にアクション権があるということを熟知した上で、「フラット」な情報を発信し続けている。

記事を作るにあたって「書き手の思いはどうでもいい」というのが、ナタリーの一貫したスタンスだ。必要なのは情報だけ。(中略)そこに記者の自己主張が入り込む余地はない。だからナタリーのニュース記事には書き手の署名は入らない。編集部の誰が書いても同じクオリティ、同じ内容の記事になるのが理想で、そこに個人の感性や意見を盛り込む必要はないと思っている。(p.66)

大山さんのフラットな目線と、決めたことを貫く姿勢がナタリーがナタリーであり続けている理由なのだろう。大山さんの文章の締め言葉と、津田大介さん(ナタリー共同設立者なんだね、ただの金髪の兄ちゃんだと思ってた:でもラジオのパーソナリティで最近よく耳にするけどとても聴きやすい話し方をする人だなと思っている)と唐木元さんによる特別対談「大山卓也ってこうなってたのか」がとても良い。津田さんが大山さんを「本質的には情の人ではあるんだけど、ナイーブではないんだと思う。情の人だけど情に流されない。」と称しているのだけど、それってすごく大事な姿勢だなと思ったのでメモ。業態は変わっても、やるべきことを淡々とやることがじわじわと継続していく秘訣なのだろうな。語る言葉の裏側にコツコツと積み上げてきた基礎の存在を感じた。

東京ピストル・星野哲也さんによる装丁はシンプルだけどエッジが効いていて、字間も読みやすくてすらすら読了。YOUR BOOKS、お値段が1000円と手頃なのもいいね。

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